安藤忠雄の住居建築がどうも好きになれない
こんにちは、Twitterで安藤忠雄が設計した京都のショッピングモールがコロナショックの影響かほとんどのお店が営業していない、というのを見かけまして私個人思ったことがあるので書いていこうと思います。
機能面について
安藤忠雄の批判でが必ずあるのが「住む人のことを考えていない」というもの。簡単に言うと空間造りに特化しすぎて機能面がかなりお粗末なんですよね
有名な邸宅でも、傘を差さなければトイレに行けない、コンクリート打ちっぱなし故に寒さなど。
有名で安藤忠雄関連の資料でもたびたび出ていますが、取材をする記者も寒い、と言ったりしていますし大阪だからよかったものの、雪国などにいたら凍死の危険すらあると思います。
安藤忠雄自身空間を造りがうまい建築家としては有名ですがあまりにもそれに特化しすぎていて人を住むというところまでに至れていないんではないのか? と思っています。
安藤忠雄自身も有名な住吉の長屋については施主に「そろそろ屋根を付けた方がいいのでは?」と聞いている位ですから。
デザインではなくアートになっている
家において一番必要なのは見た目ではなく機能性です。
そもそも家って寒さ暑さ、雨など様々な外的な危険から守るためのものですよね?
それを取っ払って見た目だけにフォーカスした家は果たして「家」と呼べるのか、と私は考えてしまうのです。
19世紀、モダンデザインの父と呼ばれたウィリアムモリスは母国イギリスの産業革命の成果により大量生産が可能になった状態に危機感をもちアーツ・アンド・クラフツ運動
を始めました。
粗悪で安価の製品をモリスは嫌い、中世のような手仕事に還り、生活と芸術の両立を目指そうと壁紙やステンドグラス、家具を作り出していました(皮肉にも高価で富裕層しか買えなかったのですが…)
安藤忠雄の建築は見た目は違うかもしれませんが、そのアーツアンドクラフツ運動の前の生活と芸術の両立をなしていないのではないかと感じてしまいます。
空間をアートするあまり、生活を成り立たなくさせるという愚を犯しているように感じてしまうのです。
すべての造形活動の最終目標は建築である
バウハウスの開校に伴いつくられたバウハウス宣言の中にこの一文があります。
バウハウスは14年という短い期間ながらデザイン教育の基礎として今でもデザイン教育にバウハウスのカリキュラムが使われています。
バウハウスが徹底していたのは構造の再構築です。
生徒たちが今まで培った知識をすべて取っ払い、その物に対しての構造の力関係を徹底して教え込まれていく過程。
こうしてバウハウスの生徒たちは多くの素晴らしい物を作れるようになるのです。
しかし、物の構造を再構築をしてもそれを使う人間を無視してはいけません。それを無視した安藤忠雄の建築が私はどうも好きになれないのです
まとめ
もちろん見た目がかっこいいのはもちろんいいんですがね、人が使うのを忘れちゃいけないなと思うのですよ