市川春子著『宝石の国』を見てフォスの絶望はまだ続くなと感じた話
宝石の国とは
粉々になっても破片さえ集めれば再生する体を持つ「宝石」たちの物語。 自分達を装飾品にしようと襲いかかってくる「月人(つきじん)」との戦いに備えつつ、日々の役割を分担して暮らす彼ら28人。
その中に、月人との戦いに加わることを望みながらも、その身体の脆さと才の無さによって何の役割も与えられていなかったフォスフォフィライト――通称フォスは、宝石たちを束ねる金剛先生から、博物誌を編む役割を与えられる。
ようやく与えられるも地味な仕事に、鬱憤を募らせるフォス。
そんな彼はある日、夜にたった独りで見回りをしている孤独な宝石・シンシャに出会う。
タイトル通り人間のように意志を持ち自由に動く宝石たちの物語です。
ここでは人間がいた時代が「古代」と評されるほどはるか未来の話になっています。
ここでは宝石たちが戦闘など様々な役割を持って暮らしています。
主人公のフォスは宝石たちの末っ子的存在で、愛されてはいますが硬度が低く戦闘向きではなく、なおかつ不器用のため300歳になっても決まった仕事がないままでした。
そのフォスに与えられた仕事は博物誌を編むこと。
「地味」と嫌がりつつもその仕事をする中でフォスは博識なシンシャに出会います。
シンシャは自身の能力をうまく使いこなせることができず、一人敵が現れない夜を見回るという役割があります。
しかし、シンシャはいつか宝石たちにとっての敵である月人が自身をうまく使いこなしてくれるのではないかという自殺念慮な思いを抱えていました。
フォスはそんな彼に役割を与えたいという思いを抱くところかあ物語はスタートするのです。
なぜ地獄と呼ばれるのか
主人公フォスの性格
フォスの足りていないもの
フォスはどうするべきなのか?
そもそもフォスの問題として「自分になにが足りていないかわからない」ということがあります。
原作10巻のカンゴームの忠告はまるっきりきいていませんしね…
そもそもフォス自身なにがしたいのか、フォス自身わかっていない可能性が大…。
「役割」を求めすぎているせいで、そのすべてが中途半端になってしまっているんですよね
例えるならば「内定」にこだわりすぎて、ろくな業界研究をしない就活生のよう。
フォスがどうすればいいかというとまず「自分が何を欲しているかを自覚すること」だと思います。
自分をおろそかにするからこそ他者をさらにおろそかにしてしまうフォスの無自覚の残酷さが痛々しさがまるで自身の宝石を表しているように感じます。
しかし、フォスがそれを自覚することは原作を見る限りしばらく先のことになってしまうでしょう。
どの宝石たちも自身の軸に満たされています。
だから、軸のないフォスの気持ちに寄り添える人物って誰?となると金剛先生くらいしかいないんですよね。
しかし、金剛自体フォスに1から10まで指摘するほど丁寧ではないでしょう。
そもそもそのすべを持たない可能性だってあります。
となるとそれを自覚させられる人物って今のところ作品の中にいないんですよ。
そのうちにフォスはさらに破滅の道へ進んでいくでしょう。